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アンリ・ドルレアン(, 1933年6月14日 - )は、フランスの旧王家オルレアン家の現家長。オルレアン派のフランス王位請求者で、名目上のフランス王アンリ7世()を称する。またパリ伯()およびフランス公()の儀礼称号を用いる。 == 経歴 == 先代のパリ伯アンリとその妻イザベル(ブラジル皇族ペドロ・デ・アルカンタラの長女)の長男として生まれる。当時、(1950年廃止)によってフランス君主位請求者とその家族はフランス入国を禁止されていたため、隣国ベルギーのヴォリュウェ=サン=ピエールでの誕生だった。 1940年に祖父のギーズ公ジャンが死去して父アンリがオルレアン家家長になると、父によってドーファンに叙せられた。1947年、ヴァンサン・オリオールの特別法令によってフランス入りを許されて、ボルドーで学んだ。その後はパリ政治学院へ進み、アルジェリア戦争に従軍した。 1957年、遠縁にあたる(ヴュルテンベルク王国の王位請求者ヴュルテンベルク公フィリップ・アルブレヒトの四女)と結婚した。結婚と同時に、アンリは父からクレルモン伯爵に叙爵された。マリー=テレーズとの間に3男2女を儲けた。 *(1959年 - ) 1989年、リヒテンシュタイン侯子と結婚 *(1961年 - ) クレルモン伯。オルレアン家の推定相続人であったが、トキソプラズマ症による障害のため、2006年、その地位を弟ジャンに譲っている。 *ブランシュ・エリザベート・ローズ・マリー(1962年 - ) *ジャン・カール・ピエール・マリー(1965年 - ) ヴァンドーム公。2006年よりオルレアン家の推定相続人。2009年、フィロメナ・デ・トルノス・イ・ステインハルトと結婚 *(1968年 - ) アングレーム公。1999年、伯爵令嬢マリー=リース・ド・ロアン=シャボーと結婚 マリー=テレーズとの夫婦仲は悪く、1984年2月に離婚(市民婚)が成立した。 同年10月、チリ系移民の血を引くと再婚した。この再婚はカトリック教会からの承認を得ずに行ったために多数のオルレアニストからは支持されず、父アンリの激しい怒りを買った。 ミカエラとの再婚が原因で、父によって継承権とクレルモン伯の称号を剥奪され、代わってクレルモン伯より格下の称号であるモルタン伯に叙爵された。6年後に父アンリの態度が軟化したことで継承権とクレルモン伯の称号を回復し、1999年の父の死後に継承者となった。 2004年12月8日、甥シャルル=フィリップ・ドルレアンにアンジュー公の称号を授けた。 2009年3月にカトリック教会によってマリー=テレーズとの結婚が無効と宣言され、同年9月にミカエラとの宗教婚が行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アンリ (フランス公)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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